今日は平成最後の日、2019年4月30日。
鬱や無気力がはびこり、日本経済も好景気とは言い難い。そんな状況にやや暗い雰囲気を感じる人たちもいるという今の世の中において、わたしは人からよくこう言われます。
なんかいつも楽しそうだね
ええ、楽しいんです。楽しんでますこの人生。「根っからの楽観思想」「記憶力がそもそもないから嫌なこと覚えてない」など、ハッピー野郎の才を持っていることは否定しません。
それでも、わたしの半生を振り返ってみると、なぜ楽しく暮らせるのかのヒントがあるようにも思います。
本ブログへお越しいただき、プロフィールまで覗いていただいたあなたへ向けて、わたくし”れもん飛行機”が平成をどう生きたかを振り返り、語ります。
読者のみなさんとは赤の他人ではございますが、夢と家族愛に生きる一人の男の人生について、ご興味少しでもあらば、3分ほどでしょうか、どうぞお付き合いくださいませ。
早速自分に酔っちゃってない?
母親ゆずりのバイタリティ
私の”人となり”を語る上で外せないキーワードがバイタリティ。
バイタリティ:
引用元:コトバンク
いきいきとした生命力。活力。活気。「バイタリティーに富む」「バイタリティーのある人」
この言葉を知ったのは大学生のとき。当時は「バイタリティの権化」とまで言われたものです。
家からの仕送りがなかったため「バイトを3つ掛け持ち」しながら1年時はほぼ全ての単位で優を取ったり、ボーリングに行けば一晩で26ゲームをこなしたり。
卒業旅行で「南極に行く」と言ったときにも、もはや驚かれないほどになってしまってました。驚かせようと思ったのに。
サラリーマンになり絶賛子育て中な今は、クレイジー具合も落ち着きました。それでも会社の部活には4つくらい加入し(記憶力ないので覚えてない)、毎日昼休みにはグラウンドに繰り出して仲間とサッカーして汗を流しています。
そんなこんなで、バイタリティを持つことはわたしのポリシーの一つになっています。
元気があればなんでもできる
実はこのバイタリティ、狙って身につけたところもあります。幼少期から意図的に体力・精神力を高めてきました。全ては宇宙に行くためです。
金メダルをとって宇宙に行きたい
幼稚園児時代に残した「しょうらいのゆめ」に私はこう残していました。
体操のオリンピック選手になって金メダルを取り、宇宙飛行士になって宇宙遊泳する
2つも夢を書くなんて、我ながら超生意気で欲張りな子供だなと。でも、ここまででかい夢を描いた当時のわたしを、私は誇りに思います。
というのも、私の人生は夢のおかげで意思決定がラクだったと思うからです。人生の選択を迫られたときに、進むべき方角がバチッと決まっているんで、それに従うだけで良かったんです。
当時、宇宙飛行士になる条件はそれなりに示されていました。はっきり覚えています。
- 自然科学系の修士以上を持っていること
- 心身ともに健康なこと
- 対外国人含め、コミニュケーション能力が高いこと
子供用の言葉に言い換えると、
- 勉強がんばる
- スポーツがんばる
- 友達と仲良くする
これをしっかりやってれば、宇宙飛行士になれる!そう思ってコツコツ進み、今は仕事として宇宙開発をやるところまできました。明確な夢を早く持つことができればブレません。
が当然、挫折もいくつか経験しました。
金メダルはどこ行ったの…?
偏差値41からの挑戦
例えば高3の夏。魂を燃やした部活を引退してすぐから「さあ次は大学受験だっ」と勉強フェーズに入ったのですが、志望校の模試ではE判定しか出ません。衝撃でした。今思えば、アホかって感じなんですが、簡単に理由をまとめます。
- 我が地元は全国でも有数の「偏差値低い」地域
- そこで幼小中高とずっと公立
- そんな中、東大行こうとしてた
- 高校の先生は「お前ならいける」と言う
- 先生も受験のことよくわかってなかった説
ついでに治安も悪いの
挫折というか至極絶望したのを今でも鮮明に覚えています。環境って大事!ということも大きなひとつの教訓なんですが、当時はそんなこと言っててもしょうがないので、受け入れて進むしかありません。残り6ヶ月で偏差値70強の志望校に入るため、デイリースケジュールを作成し、学校のない日は1日14時間勉強して挑みました。夢がついえるかもしれないという焦りでもう必死です。
結果、第一志望にした京大には余裕で落ちましたが、後期入試でなんとか航空宇宙工学が学べる大学に入れたので、私の夢はつながりました。
余談が長くなりましたが、学んだことは人が動く原動力は”モチベーション”であるということ。夢、目標、こうしたいああしたい、言い方はなんでもいいですが、動機・モチベーションをうまく使えば人間頑張れるってことを、昔の自分が教えてくれている気がします。
土俵に上がる
宇宙開発業界一本に絞った無謀クレイジー就活を経て、どうにか縁あって現在宇宙開発員をやっています。
社会人になると日々の業務に追われ、視界が狭くなり、どうしても初心を忘れがちです。それでも私はなんとかモチベーションを維持した状態で、本日平成最後の日を迎えています。
入社して6〜7年くらいは好きで1日15時間くらい働いていた時代もありました。もう一度言いますが好きで働いていたので、決して流行りのブラックなわけではありません。
しかしそんな生活は平成に置いていこうと思います。夢が変わったからです。契機は「結婚」そして「子育て」です。
家族ができ、心の底から自分より大切だと思えるものと出会いました。そんな折、自分にとって一番大切なものが何か、この人生でやり遂げたいことは何なんだろうかと、今一度自分に問い直してみました。
すると導かれた大目標は幸せに生きるでした。しかしこれは当たり前。きっとみんな同じですよね。
そこからひとつ具体化して掘り下げた時に、「家族」「宇宙」というキーワードが出てきました。これを整理してみると家族で宇宙に旅行する!になったんです。これが新しい、私の夢です。
この新しい夢のためには、宇宙開発だけ頑張っててもダメです。他に「健康管理」「子育て」「増資」が必要です。なので時間配分を本業以外(もちろん家事・育児含め)にも適切に分配する必要があり、結果的に本業に全身全霊を投入して働きまくる生活は卒業しました。
こうして、独りよがりだった夢を家族に広げ、さらに他にも同じ夢を見ているであろう人々へサービスとして届けることで社会貢献したい。今の私の夢はそんな感じで広がりを見せています。
結婚以来、価値観の異なる妻からいろいろと勉強させてもらって来たように、これからも他の人の価値観をどんどん吸収して勉強し、私の夢はきっと広がりや変化を見せると思われます。これからも勉強し続ける人でありたいと思っています。
かっこよく言うと、モノの本質を見極め、本当に大切なものに集中すること。これを徹底します。そうすると、大体のことは大したことないことになるので、怒ったりすることも減ります。
夫婦ゲンカも減ったような気がしなくもない
勉強の先生はわが子にも及びます。子供というのは純粋無垢で美しく、楽しむことの天才です。息子2歳の時に、JALでもらった飛行機におままごとのれもん(マジックテープ付)をくっ付けて
「見て!れもん飛行機!」
と言ってきた時には、大げさではなく体に電気が走る衝撃を覚えました。なんて発想だと。飛行機とれもん、何もかもちゃうやんと。それを一緒にしてしまう無邪気さ。先入観のなさ。天才でしかない。
見習わないと、というか私もかつてはそんな素晴らしい発想力を持っていたはず。より良いもの・楽しいものをこの世に生み出し、より幸せな人を増やして社会貢献するために、このれもん飛行機の名とともに精進していきたいと思います。
まだまだ続く、れもん飛行機による”幸せへのたび”
いち「ハッピー野郎」の半生を、ポイントつまみ食いでお届けしましたが、いかがだったでしょうか。
私の場合、人生の目標は今のところ「家族で宇宙に旅行すること」ですが、それもまた「幸せに暮らす」ことの手段のひとつでしかありません。真に大切なことを見失わず、しょうもないことにお金・時間・心を浪費することなく、面白い人生を歩みたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。ともに楽しく暮らしましょう!
…よろしければいろいろ記事も見て行ってください。暮らしにおける試行錯誤の結果が、誰かの参考になればという思いで記事にしています。お気づきの点などあればコメントも頂けると嬉しいです。
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